石清水八幡宮の社殿は、寛永11年(1,634年)、徳川三代将軍家光の造替によるもので、日本三大八幡宮の一社であり、伊勢神宮に次ぐ国家第二の宗廟。現存する八幡造の本殿の中で最古かつ最大規模です。
古代に成立した荘厳な社殿形式を保持しつつ、近世的な装飾を兼備した完成度の高い神社建築であることが評価され、平成28年2月に国宝へと指定されました。
ここでは、その美しさと見どころを少しご紹介したいと思います。

1,150年余の歴史と信仰の証

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楼門

社殿の顔である楼門の正面には、蟇股部分に一対の向かい合う鳩の錺金具(かざりかなぐ)があり、よく見ると向かって右側の鳩は少し口を開けています。神使である鳩が社殿の正面にて狛犬と同様に阿吽の呼吸で御神前をお守りしています。また、その双鳩の少し上を見上げると、極彩色の壮麗な龍虎の欄間彫刻が施されています。南に朱雀、東に青龍、西に白虎、北に玄武という四方を守護する四神(神獣)の関係から考えると、石清水八幡宮の龍虎の彫刻は東に虎、西に龍の彫刻が配置されており、これは、御祭神を祀る位置と順番に合わせて逆に配置されているとも、現在の社殿の修造した徳川家光公の生まれ年が辰年であり、家光公が尊崇した徳川家康公は虎年生まれであるため、自分の干支が尊敬する家康公の干支よりも上位(=東、下位=西)の位置に配することのないよう家光公が配慮したともいわれています。

八幡造りである御本殿の内殿と外殿の「相の間」に架かる織田信長公寄進の通称「黄金の雨樋」。天正7年(1,579年)12月、信長公が雨に遭って山崎寶積寺に逗留の際、木製の雨樋が朽ち雨漏りがしていることを聞き及び修理を命じ、翌、天正8年8月には木製から唐金の雨樋に造り替えられました。これには、もし再び石清水八幡宮に天災などの有事が起こった際には、この「黄金の雨樋」を換金し、その対処にあたるようにとの信長公の信仰心の深さがあったという伝承があります。

極彩色で施された彫刻欄間

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欄間彫刻

御本殿を囲む瑞籬には、壮麗な当宮の社殿を象徴する極彩色の欄間彫刻が150点以上も施されており、一説には江戸期の名工・左 甚五郎一派の作と伝えられています。なかでも「かまきり」や「りすとぶどう」、「天人(てんじん)」など珍しい彫刻もあり、荘厳にして堅牢な廻廊の内側では壮麗な瑞籬の動植物たちが見るものを圧倒し、楽しませています。

西門の蟇股部分に、琵琶の木にぶらさがり木の実をくわえる一匹の猿の彫刻があります。実はこの猿、一説には伝説の名工・左甚五郎の作といわれ、数ある石清水八幡宮の彫刻のなかでもとりわけ秀逸な作品のため、ある日、猿に魂が宿り、夜になると蟇股から抜け出して山麓の畑を荒らすので、困ったお百姓さんたちが八幡宮に相談した結果、かわいそうであるが抜け出せないようにと猿の右目に釘が打ちつけられ、それ以降猿の悪さがなくなった、という逸話が残っており、通称「目貫きの猿」と呼ばれています。

エジソンと八幡の竹とのゆかりにより建立

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エジソン記念碑

八幡の竹を使っての白熱電球の長時間点灯、実用化に成功した世界の発明王エジソンとのゆかりにより、昭和9年、境内の隣に「エジソン記念碑」が建立されました。そして昭和33年(1,958年)には現在の位置に移転され、昭和59年(1,984年)にはデザインを一新し建て替えられました。 石清水八幡宮ではその遺徳を偲び、毎年エジソンの誕生日と命日の前後に、日米両国の国歌奉奏と国旗掲揚を行うエジソン生誕祭・碑前祭を斎行しています。また記念碑の前には石清水八幡宮とエジソンと電気のゆかりに因み、電気自動車等専用充電スタンドを設置しています。

>はちまんさんとエジソンについては公式サイトをご覧ください