「等乃伎」の名は、かつてこの地を収めていた中臣氏一族の「殿来連」が由来といわれる。殿来連が祖先神の天児屋根命を奉祀し、太政大臣藤原武智麻呂親子が、歴代この地で居住したとされる。「続日本紀」(752年)にも殿来連の記載がある延喜式内社。主神を芸能上達のご利益がある天児屋根命とし、相殿神は大歳大神、壺大神、菅原道真公、誉田別尊。明治42年に、5村5社の氏神が当神社に合祀された。その後、町村合併などにより、奇しくも高石市東北部に鎮座となり、鬼門の守護神ともいわれる。
【ご注意】このページは「南大阪の神社めぐり (2022年10月発売)」掲載当時の情報です。
このページの内容は雑誌掲載時の内容をもとに作成しています。掲載情報は諸事情により変更される場合がありますので、ご利用の前には必ず掲載神社に確認してください。なお、掲載データの誤り等がございましたら、お手数ですが こちら からお知らせください。